器作りと同じくらい好きな物書き
普段の呟きは
SNSやblogで一方的に発信する
たったひとつ
1年に1度1篇の詩を書く
それは市の募集する市民文芸に応募のため
特に賞狙いではなく、ルーチンとして
応募時期になると
ひたすらイメージが降りて来るのを待つ
おぼろげなイメージが見えると
先ずパソコンに向かい、更にイメージを膨らませながらキーを打っていく
それからは勝手に手が動き詩が出来上がっていく
その時間はたった1時間ほどだ
こんなお手軽な詩を書いていて評価されるのは
ひどく戸惑う
もう何年も市民文芸賞を頂いているから
1年の内のたった1時間の創作
でも自分ではその短い時間に全力で向かう
今年の応募結果は入選
相応な評価に安堵する
昨日、ついでがあったので、クリエート浜松の浜松文芸館に寄り冊子を受け取ってきた

1階ロビーで冊子を開き、自分の詩への選者の評を読んでみた
びっくりした❗
だって私の意図とは違う受け取り方だったから
「透明人間になった日」は
私が小1の時の姿を描いたもの
空想癖のあるわたしは、授業中ぼんやり外に目を向けて、やがて自分世界に埋没してしまう
その世界では、自由に快活に飛び回っている自分がいた
選者はその様を亡くなった少女の姿と受け取ったようだ
短い命を終えた少女を温かく見守る教師の心情にも想いを寄せてもいる
えっ、私生きてるよお…と叫びたくなる❗
一体どう描けば良かった?と考える
詩は説明の言葉を省くから、感じてもらうしかないのだけれど、私の表現力不足なのかなとも考える
作品は作者の手を離れたら、自由に動き回る
そうであるなら
読み手がどう受け取ってもいいのだね
自由な発想を呼ぶなら嬉しいことかも…ね
「透明人間になった日」はこちら⬇
https://kazahagi.hamazo.tv/e8712601.html