詩と陶芸の共通項

mamesan

2013年05月20日 19:22

陶芸を自分ですることになるとは
露程にも思っていない頃
出会った陶芸家が、河井寛次郎

しかもその器に惹かれた訳ではなく
その書かれた本に夢中になった
20代になって間もないころ訪れた倉敷の大原美術館
そこで出会った本の作者が彼だった

土を包む炎の仕業を見事に
彼は言葉に変えていた

今の私は
拙い詩も書いているが
そんな世界とはかけ離れてた世界を描く彼は
長い間の憧れ

今、陶芸が縁で知り合った桃の花さんに借りた一冊の本を読んでいる
「陶技始末」
昭和56年発行だから、30年以上前のものだ

その冒頭にこんな記載(序文より)

詩は「ことば」を媒介にして、人のこころに形の世界をうったえる。
これに対し、技術は「もの」を媒介にして、人のために新しい形をつくり出す。
ほんらい詩と技術とは、形を描く力において同根であった。


知らぬうちに
寛次郎と同じ道を歩いていたってこと?(…な訳ない)
いやいや
この本を読んで感じたことは
完敗だということ
勝ち負けを論ずるレベルにはないほど
彼の言葉は今もって新しく、独自のもの
味わい深く、みずみずしい表現に、文字通り舌を巻く

各地に埋もれた
土着の陶工たち(陶工と意識すらなかったひとたち)
その手練の技を、独自のことばで見事に表現する

すごいの一言
陶芸家としても素晴らしい人だが
詩人としても魂が感じられる素晴らしい作品を生み出していた

陶芸もだが、詩ももっと真摯に向き合わなきゃと
強く思えた一冊との出会いに感謝

画像は
京都の河井寛次郎記念館に飾られた彼

私は
彼の足もとにも及ばないが
自分なりに詩も陶芸もがんばろうと思う

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