落陽とハツユキソウ
この2つに特に関連はないけれど
夕べと今日
心が揺らいだものふたつ
夕べ、BSテレビの録画で、似顔絵セラピーの様子を描いた番組を観た
無料で相手の思い出や人生や悩みなどを聞きながら、その人の心象風景を描き出すもの
顔は似てるとは言いがたく、本来の似顔絵ではないけれど、見事に相手の世界を表現して、相手を癒していく
様々な人生を背負った人の中に、歌手を目指して夜の街を流して唄う女性がいた
その人の唄のひとつが「落陽」だった
歌ったのは吉田拓郎
学生時代、少し上の世代で人気があって
歌を聴いてもその良さは理解出来なかった
伝説のつま恋ライブに行ったものの、明け方しゃがれた声で叩きつけるような歌いかたをする姿も、心にきちんと響かなかった
それなのに?
夕べその歌を聴いて、涙が溢れてきた
どうして?
歌詞や曲がストンと入ってきて感動してしまった
旅をするなかでの情景、人との触れあい、孤独と寂しさを抱えてのひとり旅は、すべてが心に沁みた
その旅をきっと思い出したのね
旅はなにか自分でもわからないものを求めてさすらう
ある種、日常の自分よりずっとピュアになる気がする
涙したのはやっと大人になったのね
随分時間がかかったけれど
拓郎の唄が理解できてるもの

これは、10年以上前の北海道ひとり旅の初日の夜
増毛での徒歩宿のオーナーの弾き語りの様子
宿泊客はライダーの男性がほとんどで、素泊まりで夜中にチェックインし、早朝に出ていく
だから夕飯は、旅の途中の男性と2人だけ
食後は、オーナーと3人でちょっとした静かな飲み会
弾き語りのオーナーにリクエストしたのも拓郎の歌だった

これは増毛の夜の海
漁り火が見えて寂れた漁村を照らしてた
お風呂がないので、町の銭湯へ行ってと、宿泊客の男性と行った帰り、立ち寄ったもの
その日会ったばかりの男性と銭湯へ行くことになるとは驚きだった
夜の海を見ながら聞いたのは、全国を流れて旅を続ける彼の話…流れて行かざるを得ない理由はなんだっっただろう? 自由と引き換えに失ったものも多かったと言っていた

今はもう廃線になった増毛線の線路が切れた駅
始発駅であり終着駅、切れたレールが印象的だった
旅の都度その終わりが嫌で、でもまたどこか行きたくて、私の中でいくつもの旅の余韻が今だ残っている
「落陽」は、そんな自分にたやすく入ってきちゃったのかもねえ
あとひとつ
今朝庭に出ると、私の好きなハツユキソウが咲いていた
この花は、初夏に降りる初雪のように上部が白くなる

花姿もその名前も大好き⤴⤴
こういう些細な出会いでも心がはんなり
泣いたかと思えば、可憐な花に有頂天に…
忙しい私である(笑)