陶芸を自分ですることになるとは
露程にも思っていない頃
出会った陶芸家が、
河井寛次郎
しかもその器に惹かれた訳ではなく
その書かれた本に夢中になった

20代になって間もないころ訪れた倉敷の大原美術館
そこで出会った本の作者が彼だった
土を包む炎の仕業を見事に
彼は言葉に変えていた
今の私は
拙い詩も書いているが
そんな世界とはかけ離れてた世界を描く彼は
長い間の憧れ
今、陶芸が縁で知り合った
桃の花さんに借りた一冊の本を読んでいる
「陶技始末」
昭和56年発行だから、30年以上前のものだ
その冒頭にこんな記載(序文より)
詩は「ことば」を媒介にして、人のこころに形の世界をうったえる。
これに対し、技術は「もの」を媒介にして、人のために新しい形をつくり出す。
ほんらい詩と技術とは、形を描く力において同根であった。
知らぬうちに
寛次郎と同じ道を歩いていたってこと?(…な訳ない

)
いやいや
この本を読んで感じたことは
完敗だということ
勝ち負けを論ずるレベルにはないほど
彼の言葉は今もって新しく、独自のもの
味わい深く、みずみずしい表現に、文字通り舌を巻く
各地に埋もれた
土着の陶工たち(陶工と意識すらなかったひとたち)
その手練の技を、独自のことばで見事に表現する
すごいの一言

陶芸家としても素晴らしい人だが
詩人としても魂が感じられる素晴らしい作品を生み出していた
陶芸もだが、詩ももっと真摯に向き合わなきゃと
強く思えた一冊との出会いに感謝
画像は
京都の
河井寛次郎記念館に飾られた彼

私は
彼の足もとにも及ばないが
自分なりに詩も陶芸もがんばろうと思う

朝から爽やかなブログを拝見しました。私には詩も技術もないけど、
mamesanの記述を読んで、自分は今何をしているのかな?と不甲斐なさを
感じます。詩にも陶芸にも挑戦しているmamesanに成功あれ!
座正さん
生意気ですが、生き方に正解などないと思います。
自分らしく生きることができたら、それが幸せですよね?
私は迷いながら生きてますが、自分らしく生きようとしてることには自信あります(o^∀^o)
納得! でも「自分らしく…」、これがなかなかの曲者なんです。
座正さんも十分自分らしく生きていると思いますよ(*^^)v
こんばんは。
今頃になってのコメントであります。
本をお貸しして良かった。
mamesanは詩から入ったのですね。
読むべき人に渡ったのもご縁でしょうね。
この本、我が家でそれこそ30年近く眠っていたのですから。
私は詩にはほとんど興味関心が無く、河井寛次郎の世界観は実は
良く分かりません。
この本は私にとっては陶芸の指南書なのです。
読む度に新しい発見やヒントを与えてくれます。
読む人によって感じるものが大きく違うというのも面白いですね。
桃の花さん
すみません。
コメント催促した形になってしまいましたね。
私は感覚的な人間で、論理的に物事を追及するのが苦手です。
寛次郎の世界は見事に私のピンポイントに響きました。
とはいいつつ、詩的だけではなく
彼の陶芸への想い、姿勢などがよくわかった本でした。
釉薬づくりに参考になった点も多々ありましたよ・
成形に関しても自由にやってもいいんだよ!と
後押ししてもらった気がしました。
なにより土との格闘に無限の可能性を見いだせましたね。
いい本を貸していただきました。
次は陶あそびさんへバトンタッチしますね♪
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